イラク渡航報告書(調査内容)

■調査内容

<バクダッド>2月3日(火)

○市内調査、空爆施設の視察。(現地ガイド:ZIAD TARIQ RASHED)

 空爆を受けたフセインパレス、電話会社のビル、政府関係施設、バクダッド国際タワーを視察。

 その他、空爆で崩壊したフセイン秘密警察、旧イラク空軍ビルを視察。その施設内に住み着いているホームレスへの家族へのインタビューを実施。フセイン邸宅裏にあって、誤爆で子供を含む家族9人が殺害された現場も視察。

 

※空爆を受けて崩壊した旧フセイン政権のビルは、まったく管理されておらず、地方から出てきたホームレスが住み着いている状態である。

 

○ 現地で活動するNGOメンバー

バクダッドで活動するNGOメンバーに会うために、バクダッド市内のアンダルースパレスホテルへ。そこで村岸由季子さんのお話を聞く。

 彼女は、これまでNGOの組織メンバーとして活動してきたが、現在は個人として「児童館」的な施設をバクダッドに開設することを企画中。既に自らで部屋を借り上げて準備を進めている。

 まず、近所のイラクの子供達を集めてコミュニケーションを図り、それから段階的にホームレスの子供達とも交流できるようにしていく。それがイラクの未来のためになると考えているとのお話。日本が戦後復興を行ったときにも、必ずだれかが助けてくれたはず。現在イスラム教国であるイラクで問題なのは、BS等を通じて海外の風俗が野放図に流れ込んでくること。子供達の教育上の問題も含めて、「これが自由ということなのか!」と怒る教師も多いとのこと。ゆえに、一度アメリカの占領支配を経験した日本人だからこそできるイラクへの支援というのがあるはずで、特に教育の支援ではないかと感じておられる。

 貧富の差が広がりつつある。ゆえに、リサイクルで商品を作ってそれを海外にうるような仕事も作り出さなくてはいけない。またストリートチルドレンの心のケア−も不可欠。個人としての文化交流が必要だと思うと話された。

 外務省のバクダッド駐在からはできるだけはやく退去するようにとのお話を再三いただくとのこと。イラク滞在の邦人はすべて監視されていて、いつでも拉致できる体制になっているようだ。

<サマワ>2月4日(水)

 サマワへの移動。(ガイド:Selam Al-wahid)朝の9時にバクダッドを出発しGMCで国道8号線を南下。サマワ着は午後。サマワ市内の状況を確認した後に、オランダ軍宿営地の外で行われる自衛隊のブリーフィングに参加。

 

○自衛隊先遣隊の定時ブリーフィング

 自衛隊先遣隊長、佐藤正久1佐のブリーフィングに参加した。通常ブリーフィングは午前8時と午後5時に行われ、佐藤隊長がこられない場合が多く、広報担当の福田洋司二佐からは当初「ノーカメラ」で撮影が許可されなかった。しかし、佐藤隊長の会見となったので、カメラ撮影が許可された。

 ブリーフィングの内容は、自衛隊のその日の活動内容。この日は犠牲祭の供物としてめぐまれない人の施設に羊を配った話。そしてフセイン時代に廃墟とされた村の瓦礫の中で花を子供からもらって胸があつくなったという話。特にカメラ向けの場合に佐藤隊長のブリーフィングとなるようだ。

 このブリーフィング会場に、非メディアである私達が到着するまでに、自衛隊、米軍、オランダ軍などによる車両チェックは一度もなし。自爆テロへの警戒もなされていない。

 

○ 市内の視察と宿泊地の確保

その後夕方に市内を視察した。大変にぎやかな町。ホテルは自衛隊本隊の受け入れ取材のための日本人ジャーナリスト達によって満室状態。(※この繁華な地域が、2月12日RPGで攻撃された)ホテルも通常10〜15ドルの部屋が、1泊1名60ドル(2名で120ドル)と高騰しているため、ホテルを断念し、一般民家を2泊3名で150ドルで借りることにした。

 

<サマワ>2月5日(木)

 サマワ2日目は、午前中市内を徒歩で視察し、午後からは自動車でサマワ総合病院、自衛隊宿営地、サマワ駅をまわった。

 

○自衛隊が視察した橋

 この橋は、鉄橋で破壊されているわけではない。商店街の中を通る道につながる幹線橋が混雑するために迂回用に拡幅または補強を求めている橋であり、国内での認識とは差異があるように感じた。

○サマワ総合病院

 日本が支援して作った「サダム総合病院(現サマワ総合病院)」。病院内はやはり清潔ではなく、汚物のにおいがエレベーターホールに充満している状態。医療器械もたくさんあるが、十分活用されているとは思えない。かつて日本のメディアが視察した日本製の医療機器も既に撤去されていた。

 担当医のお話によると、現在もっとも問題なのは水が十分に供給されていないこと。また必要なのは薬品はもちろん、人材のトレーニングだという。医療マネジメント、衛生管理などを推進できるスタッフが不足している。

 

○自衛隊宿営地

 昨日に続き、自衛隊を取材し、宿営予定地の中まで入った。(非メディアでは我々のみ)軽装甲機動車に他メディアとともに同乗し(撮影不可)、宿営地内まで移動。土の上にビニールシートを敷いて、またその上に土をかぶせて道路を確保。現場では、オランダ軍のブルドーザーと、現地民間の重機が4台(見える範囲で)機動していた。

 許可された撮影時間は5分。白いいすがおかれていて、その幅からは外へでられない。また撮影方向にある鉄塔や建物も撮影不可(場所が特定されるため)。しかし、サマワの人たちは宿営地の位置をみなおおむね知っているのが事実。この宿営地の賃借料が1ドヌム(2500平方メートル)あたり当初の自衛隊予定が7ドル。それを現地では1000ドルまで吊り上げてきた。(※2月18日現在の共同通信報道では地主側500ドル/1ドヌムに対し、自衛隊定時額が100ドル/1ドヌム。決裂時は自衛隊を占領軍とみなすと部族長)。

 

○ サマワ駅

バクダッドからバスラまで抜けている鉄道路線。その中間点にあたるのがサマワ駅。かつてはたくさんのダイヤがあったようだが、現在は4往復。単線なので、サマワ駅で行き違いを行う。サマワのセメント工場への路線もあるようで、貨物の扱いもかなりあったとのお話。

 往時しをのばせるのは、巨大なコンピューター。ドイツ製ということでダイヤを管理するシステム。大きなグリーンの電光盤があるが、完全にこわれてしまっていて、パーツなども盗まれているようだ。駅自体は、サマワ市外から自衛隊宿営地方向へいった砂漠の真中。周辺に店舗や住宅はない。

 

<サマワからバクダッドへ移動>2月6日(金)

 午前9時にサマワを出発し、午後にはバクダッド到着。市内を徒歩で視察する。あとはレポートのまとめなどを行う。

 

<バクダッド−サッマーラーへ>2月7日(土)ガイド:ZAID SABAH

 乗用車をチャーターして、バクダッド市内を視察。「ドーラ地区」にあるキリスト教の協会、バクダッド大学を視察の後に、北上しスンニトライアングルへ。サッマーラーのミナレット(シーア派の聖地)を取材。

 

○ドーラ地区

 この地区は石油精製所があり、工業地帯。イスラム教派閥的にも混在地域で、スンニ派もかなりいる反面、クリスチャンの数も多い。このドーラの郊外では1月27日にCNNの車両が襲撃され、2名のクルー(イラク人)が殺害されたエリアで、1月初旬まで空爆が行われ、警察もアメリカ軍もまったく管理できていないエリア。バクダッド主要部から車で15分かからない地域。

 

○セントジョージ教会(キリスト教・ドーラ地区)

 ドーラにはクリスチャンが多く、親戚縁者が固まってこの地域に暮らしている。大きなチャーチがあり、鉄の扉で強固に守られてはいるものの、大変美しく清潔な教会だった。住民としては、宗派や宗教を越えてみな共存しているとのお話を受けた。

 

○バクダッド大学

 この大学は、アラブでは一番の大学とされ、さまざまな地域から学生が集まっている。キャンパス内の雰囲気はアメリカや日本のそれと大して変わらず、学生達も活き活きと勉強しているように見えた。

 彼らにインタビューしてみると、「日本の技術を尊敬する。大学に教えにきて欲しい」という意見が多く、自らで自立していきたいという意欲を感じた。

 

○サッマーラーへの道

 北部地域へはバクダッドからモスルへ抜ける幹線道がありその三分の一程度の場所に「サッマーラー」がある。ここはスンニトライアングルのほぼ中心にあたるが、実はシーア派の大モスクがあり、紀元9世紀(1200年前)に出来たバベルの塔のモデルとも言われているミナレット(アラビア語で尖塔の意)がある。

 ここへ到達するまでに5箇所のチェックポイントがあり、その2箇所で車から降ろされて、手を横水平にした持ち物身体検査を受けた。アメリカ軍の装備も重装備になり、戦車も重戦車になっていた。南下する道路のチェックポイントがイラクポリスによるドヌル缶で仕切られていたのに対し、北上する道路のチェックポイントは米軍のもので、巨大な土嚢をつみあげて道を数百メートル狭めて、セメント製の円筒形の見張り所から監視兵がライフルを構えているという強固なもの。

 これによってかなりな渋滞になるが、サッマーラーにはたくさんのシーア派の信徒がバスをつらねて訪れてにぎわっていた。ガイドのザイド氏からは、「イランからもシーア派がたくさん来ている。極めて歴史的なモスクがある。」と説明を受けた。

 

○サッマーラーのミナレット

 高さは52メートル。らせん状に登っていく尖塔。手すりは内側にしかなく、頂上部分は平坦で手すりなし。観光地とあって、出入り口には入場料を取るカウンターがあり、駐車場にはお店が出ていた。

 帰り道で、米軍トラックの車列に遭遇。気が付いたらはさみこまれ、停止させられた。自動小銃をこちらにむけた米軍兵士が、車から降りるように命令。もっていたビデオカメラから「車列を撮影した」という嫌疑でビデオを出して没収した。しかし、我々は撮影していないので、その旨を米兵に説得し、プレビューを行った結果、車列が映っていないことが確認され無事テープを返してもらうことができた。

 その後、路肩にうちすてられていた旧イラク軍の戦車を撮影中、イラク警察が警備のため緊急にアテンド。道の対面からゲリラがRPG(ロケット弾)の照準を我々にあわしており、米軍関係者でないとわかると撤退した。

 

■総括

 イラクは戦闘地域かとういう問いには、即答できない。しかし、頻繁にテロが繰り返されている地域であることには間違いなく、危険地域である。治安が安定しているということと、テロの危険度が高いということを混同してはならない。フセイン政権崩壊後、明確に組織だった武装解除の行われなかったイラクにおいては、サマワの部族長の一人がRPGを多数所持していたことで逮捕されたことや、我々自身がRPGの被害者になるところだった事実を照らし合わせても、長くいれば長くいるほど危険性が高まるゲリラ地域である。10万人を越えるアメリカ軍が事実上「占領」しているイラクにおいて、国民の意識はやはり反米的である。ゆえに、「アメリカ軍にとって危険」という表現が多様されるが、日本の自衛隊がイラクに進駐したという事実は、オランダやポーランドなどどの国の軍隊がイラクにいる事実よりイラク国民によって周知されている。

 それに対して自衛隊は余りにも無防備である。記者会見という特殊なシーンではあるが、日本感覚を持ち込みすぎているように感じた。自衛隊制服組がここぞとばかりにPR合戦を展開しているような印象は否めない。

 サマワについては、戦災復興地域というイメージはない。もちろん限られた範囲で空爆を受けており、戦後の略奪で学校などが崩壊している状況はあるようだが、決定的に破壊し尽くされた町という意味ではない。自衛隊が視察した橋が都市計画上の意図から補強工事を望んでいることが象徴的である。

 自衛隊は人道復興支援ということで医療支援やその他の支援を行うが、今回の自衛隊派遣で、自衛隊そのものの持つ意味を変換させてしまう作用が起こった事実は否めない。危険地域(戦闘地域)には制服を来た自衛隊員がいけばよい。それがもっとも安全で有効な人道支援だという新たな認識であり、これを定着させることに自衛隊は躍起である。

 イラク人の立場からすれば、自衛隊であろうがなかろうが、日本人が具体的な支援をしてくれることに対して完全にウエルカムである。しかし、果たして自衛隊に民間人をマネジメントしていく機能が備わっているのだろうか疑問に感じざるを得ない。

 今後NGO国際社会と地域をつなぐネットワークは、既に活動するNGOと連携を取りながら、イラク支援のあり方を検討していく。

 

高橋 昭一

NGO国際社会と地域をつなぐネットワーク代表

民主党兵庫県第4区総支部 代表

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