撮影した写真は1000枚をこえますが、抜粋してご紹介いたします。
(青い枠のついた画像はクリックすると拡大します)

ヨルダン経由でバクダッドを目指す

ヨルダンーイラク国境を越えた

2月3日の朝焼け。2月2日にの深夜に国境を越えて、盗賊の襲撃を避けて日の出を待って再出発。

バクダッド(BAGDAD)

バクダッド・厳重な警備

パレスチナホテルに続く道。セメント製のバリケードで厳重に警備されている。

チグリス川の風景

パレスチナホテルから眼下のチグリス河畔を望む。リゾートホテルだったことが伺えるが、右下の道路上の建物が米軍のチェックポイント。厳重な荷物検査があり、左に続く道にはセメントの壁。その突き当たりに米軍の戦車が配備されている。

 

道路沿いの鉄条網からホテルを臨む

モスクに面した大きなサークル沿いの道から鉄条網越しにみたパレスチナホテル。

あちこちに鉄条網が・・・

市内随所に鉄条網がある。ひっかかると簡単には取れない。米軍の戦車も常にこれのまいたものを乗せている。

パレスチナホテルのビジネスセンター

初日はインターネットに接続可能だったが、その後シェラトンホテルにあるサーバーが故障したため、帰国まで一度もつながらなかった。

 

パレスチナホテルのテニスコート

エレベーターのボタンにもテニスコートの表示がある。しかし、今はまったく使っている様子なし。2階部分から出るバンケットホールの屋上部分につくられている。

 

イラク製のセメントの壁

ホテル周辺を固めるセメントの壁はイラク製のもの。しかし、フセイン政権崩壊後に米軍発注でつくられたものと思われる。

空爆の傷跡

バクダッド市内は空爆の傷跡がまったく手付かずで放置された状態。

 

銃撃を受けたバス

側面には機銃掃射の後がある。長く放置されている状態。

旧イラク空軍のビル前

モニュメントがるエントランス前。しかし、この空軍のビルにもホームレスが住んでおられる。赤ちゃんの泣き声がきこえた。

 

イラク空軍ビルの門の内側

横倒しになって扉をふさぐ形で残骸になっている旧イラク軍のトラック。

 

空爆で崩壊したバクダッド国際タワー

通称サダムフセインタワー。象徴的な建物で通信施設でもあり空爆を受けて廃墟に。かろうじてたっていた。

空爆を受けたショッピングセンター

空爆で瓦礫となったショッピングセンター。生活施設も空爆をうけている。

フセイン秘密警察ビルに住むホームレス

空爆を受けたフセイン秘密警察のビルにもホームレスの方が住み着いている。
彼らは地方から出てきた貧しい人々とのこと。旧政府の施設はフセイン宮殿のほかはほとんど管理されていない。

 

ホームレスの家族と

私の出身校、小野高校の所属部後輩の生徒達より託されたお土産を手渡した。

 

フセイン邸宅の跡地と誤爆

手前が米軍によって完全に破壊され撤去されたフセイン邸宅。しかし、その後ろの民家も巻き添えを受けて子供を含む一家9名が死亡した。

 

今にもこわれそうな電話会社ビル

少しでも大きな地震がくれば崩壊する危険性のあるビル。周辺にはお店や住宅がある。

 

仕事にきている韓国企業

このバスは韓国の現代(Hyundai)製。市内のあちこちに韓国企業の看板が目立つ。もちろんフセイン政権崩壊後に進出。

重装甲車

この規模の装甲車をはじめさまざまな形、さまざまな国の軍隊の車両が道路を行き交う。

米軍のハマー装甲車

機関銃を装備して完全武装で疾走する米軍車両。

電気製品が山積み

フセイン時代に禁止されていたBSをはじめさまざまな電気製品を扱う店がたくさんある。

反米ポスター?

「子供たちは休日にどこであそべばいいのか?」とかかれた米軍統治に反対するポスター。

イラクのタクシー

このオレンジと白に塗り分けられたのがスタンダードなタクシー。車種はまちまち。とりあえずこの色に塗れば何でもタクシーというかんじ。

バクダッド大学

アラブで一番レベルが高いというバクダッド大学。キャンパス内は日本と変わらない。女性たちもファッショナブル。学生はみな生き生き勉強している。日本の技術を教えてほしいというこえが多かった。

 

バクダッドからサマワへ(国道8号線)

自動小銃を携帯した警備

イラクではこのスタイルの警備は日常的。自動小銃を見かけない日はないし、向けられることもしばしば。

 

ライフルを常に構えて走行するIP

IP(イラクポリス)の車。左右の窓、そして後ろの窓を開けて、ライフル銃をかまえた三人の警察官が緊張して警備しながら走行。後ろの窓の銃は私たちに向けられていた。イラクではよく自動小銃を向けられる。やはり銃口は怖い。

イラクの土木建築機械

ずらっと並んだブルドーザー。この国には土木建築のノウハウがかなり蓄積されており、ヨルダンよりイラクの方が道の整備が進んでいるほど。

にぎやかな町並み

とにかく途中の街は人であふれている。日本の市場より活気がある。

疾走する重戦車

バクダッド郊外になればなるほど砲塔の長い重戦車が頻繁に一般道を走っている。道が痛みそう・・・

サマワ SAMAWAH

サマワ市内に入る

宿泊させていただいたおうちの前で、運転手のセラムさんにとっていただく。左は一緒に渡航した民主党滋賀の成田君。

サマワ総合病院(旧サダム総合病院)

大きな病院。サマワで近代的なビルはここしかないくらい。

ドクターと話す

薬も必要だが、マネジメントできる人材などを育成することが急務だとお聞きした。

赤新月社の救急車

イスラム圏の赤十字が、赤い三日月の「赤新月社(または赤三日月社)」。

サマワ郊外の自衛隊宿営予定地へ

マスコミのみなさんと特別に初公開の場に

特別に許可されてマスコミの皆さんへの宿営予定地初公開の場に同行。

オランダ軍のブルドーザー

宿営地整備のためにオランダ軍のブルドーザーが作業を行っている。(現在は自衛隊の重機も到着のはず)

宿営予定地に向かう自衛隊装甲車

軽装甲車と装甲機動車の列。他国に比べて「国旗」の表示の仕方が以上に大きい。

 

宿営地予定地での取材

宿営予定地内でビデオとカメラで取材を実施。撮影時間は5分のみ。地域を特定する建物なども撮影は禁止。

 

自衛隊装甲車とオランダ軍の車両

オランダ兵と自衛隊員が打ち合わせを行っていた。

 

サマワ市内にて

イラク警察(IP)の事務所前で

イラク警察(サマワ警察)の皆さんと写真を写す。

イラク警察のユニフォーム

上着を脱いで銃を装備しているユニフォーム姿を見せてくださった。

ユーフラテス川から橋を臨む

メソポタミアの時代から悠久の流れを続けるユーフラテス川。そこにかかる橋を自衛隊が整備する予定。しかし、その橋は決して攻撃で破壊されたものではなく、純粋に「渋滞緩和」という都市計画上の整備。

サマワ駅

バクダッドからバスラまで1日4往復。単線のため、このサマワ駅が行き違い場所になっている。

 

サマワ駅のコンピューター

ドイツ製の巨大な列車ダイヤ管理コンピューター。しかし、完全に朽ち果てている。

おなじくサマワ駅の列車ダイヤ制御盤

この制御版がコンピュータにつながれていてダイヤを管理していた。

 

バクダッド発バスラ行きの列車

機関車が3両客車をひっぱっている。北のモスル行き路線もあるが、まだテスト中。

サマーラー SAMARRA

スンニトライアングルのど真ん中の町

古いモスクとタワー(ミナレット:写真)で有名なバビロンの主要都市。ミナレットは1200年前のもの。スンニトライアングルの真中なのに、シーア派のモスクがある。たくさんの巡礼者がバスでサマーラー入りしていた。

 

ミナレットの頂上

この写真の手前にある塔頂部分はは平らで手すりなし。風が強くて怖い。

 

階段にも外側手すりなし。

52メートルのミナレットの外側には手すりもなく非常に怖い。しかし、子供は走って登っていた。

スンニトライアングル内の道路で放置されている旧イラク軍戦車

戦車が転倒している。劣化ウラン弾での攻撃可能性があるので近寄ってはいけないといわれた。

 

写真撮影中

このとき、「ファイター(反米ゲリラ)」に狙われたいたが、イラクポリスの助けで事なきを得た。

おなじく旧イラク軍戦車

完全にゴミ捨て場になってしまっている。鳥が群がっていた。

 

帰路

イラク国境

ここで3時間半またされた。通常はそれほどまたされないらしい。ヨルダン側では無料だった手数料が、イラク出国時には一人5ドル徴収された。

 

今も残る国境のフセイン

ちょうど中立地帯へ出るイラク側の門の横のモニュメントにのこっているフセインの顔。ほとんどのものが顔を切り取られていたが、これは場所柄か、判別できる程度には残っていた。

 

ヨルダン・アンマンのバスステーション
お世話になったエリアさん

ヨルダンで大変お世話になった空港リムジンバスのアブダリ駅におられるスキャンダ・エリアさん。ヨルダンへいかれる方は是非よろしくお伝えください。

 

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