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阪神・淡路大震災10年目に際し | |
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決して忘れることができない1995年1月17日午前5時46分。私たちの生活は一変してしまいました。発生当日から被災地にあって、救援活動に従事し、翌日にはボランティアチームを立ち上げ活動開始。たくさんの仲間とともに、1ヶ月以上、不眠不休での活動を続けました。ご遺体運びから、救援物資の配送、炊き出し、あるときはインフルエンザにかかった子供たちを病院に搬送し、またあるときは行方不明になった方々を避難所をまわって探し出し、何度も何度も政治の壁にぶちあたり、国、県、市と市民の調整役を行い・・・瓦礫の中で私は、「政治は市民生活にとてつもなく大きくかかわっている!」という事実を再認識させられました。また「政治が機能しないと人が死ぬ!」という現実をたたきつけられたのもまた事実でした。 あの日が私の活動の原点といっても過言ではありません。ある意味、私も震災に人生を変えられた人々のうちのひとりだと最近になって改めて認識できるようになりました。 震災当日から、現場で活動することができたことは、現在政治への道を歩む私にとって大きな原動力になっています。やはり「現場がわからないと何も変えられない!」のです。 本年、平成17年1月17日未明からの私の活動についてご報告申し上げます。 ■阪神・淡路大震災10年目、平成17年年1月17日、早朝からの追悼NEW
以下に掲げた目次は、朝日新聞社刊の「官邸応答せよ」の第4章に掲載された私の震災での体験(1月17日から3月まで)の元原稿です。 本ページにお越しいただいた皆様と1995年の1月17日に戻らせてください。
震災から10年たっても、ときどき、暗闇から「死の恐怖」が迫ってくるように感じることがあります。また震災復興の時の出来事は美しい思い出ばかりではありません。昨年の新潟中越大震災に際して、再び当時の混沌とした想いやいたたまれない辛さがよみがえってくることがたびたびありました。 しかし、本当にあの「阪神・淡路大震災」の現場で私が実感できるのは「命の磨かれたこと」だと思います。生き残ったものの使命、6433名の命への責任。私は自らの政治信念の基本に「命の重さ」をすえています。私が立候補を決意した当時、「命の重さ」といっても、選挙区では伝わらないと助言を受けました。しかしどうでしょう。日本が世界の戦争の渦にまきこまれ、日本国内でも災害、災害、災害・・・・。毎日のように命が奪われ生活の安全が脅かされる現在、私は強い信念をもってすべての政策課題に「命の哲学」をもって臨んでいく決意を固めています。 つたない創作ですが、震災に関して私が作った短文等をご紹介申し上げます。 ひとつめは震災1年目に歌の歌詞として作ったものです。異人館でのコンサートで歌わせていただきました。 ■「もう一度歩き出そうStop Worring Start Living」作詞:高橋昭一(1996.1.17) もうひとつは、私が衆議院議員に立候補を決意した年(震災7年目)に詠んだ歌です。 ■国政に挑戦を決意した震災7年目に詠んだ歌(2002.1.17)
震災10年に際し、ご意見などぜひメール下さい。御願い申し上げます。 また、これまで行ってきたイラク報告会のような形式で、発生当初の様子を語る震災・防災を考える会なども実施できればと存じます。ぜひご協力下さい。 |